オールド ヴィンテージ ワインについてワイン(シャンパーニュ)の熟成過程によって液面の低下及びエチケットやネックフィルム、コルクなどの経年劣化があります。ワイン(シャンパーニュ)は生き物ですので、同じヴィンテージでも同じ味わい/風味が保証されるものではありません。お客様の趣向により味わいが劣化に感じられることもあります。当社の商品の状態を写真で十分にご確認のうえ、ご購入いただきますようお願いします。以上のことを踏まえて、当社の商品はお届け後、返品及び交換などが承ることができませんので、ご理解のほど、よろしくお願いします。※法律により20歳未満の酒類の購入や飲酒は禁止されております。年齢確認が必要になります。・名称:シャトー マルゴー 1998・内容量:750ml・アルコール度数:12,5度・品種:カベルネ・ソーヴィニヨン(75%)& メルロー(17%)& カベルネ・フラン(3%)& プチ・ヴェルド(5%)・タイプ:赤・保存方法:ワインセーラーパーカーポイント:91点予想される飲み頃:2006-2030The 1998 Margauxs color is a dense ruby/purple. The wine is tannic and austere, but elegant, with notes of asphalt, blackberries, acacia flowers, and sweet, toasty oak. Subtle, rich, nicely-textured, and medium-bodied, it is built for the long haul. Anticipated maturity: 2006-2030.(134, The Wine Advocate 23rd Apr 2001)12世紀の頃、現在のシャトー マルゴー付近は「ラ モット ド マルゴー」の名で呼ばれていた農園でした。「ラ モット」とは「小さな丘」を意味し、概して土地が痩せているメドックの他の地域と同様、さとう大根や穀物の畑として利用されていました。16世紀にレスナック家が保有すると、水捌けの良いこの土地がワイン用ブドウの生産に向いていると考え、栽培を始めたのがシャトー マルゴーの始まりとなります。18世紀に入ると、それまで色も薄く水っぽいものだったワインの醸造技術が大きく進歩しました。その改良には、当時の運営責任者だったベロン氏が、水っぽさの原因である朝露がついたブドウを摘むのを止めさせ、また初めて土壌の重要性に気づいたことが大きいと言われています。18世紀、シャトー マルゴーは大富豪ジョゼフ・ド・フュメルの所有となりました。彼にはマリー・ルイーズという娘がおり、そこに目をつけたのがルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人でした。やはりルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人がシャトー ラフィットを宮廷に持ち込むと、次の愛妾デュ・バリー夫人もワインを持ち込もうとしたのです。デュ・バリー夫人は義理の弟をマリー・ルイーズと結婚させシャトー マルゴーを手に入れてしまいます。こうしてデュ・バリー夫人が愛飲し、宮廷に持ち込んだことでシャトー マルゴーの名声は一気に高まりました。壮麗な建築様式・1855年第1級格付け・1978年大復活!!ルイ15世が亡くなるとデュ・バリー夫人は零落し、夫人の義理の弟でマリー・ルイーズの夫がアルジクール伯爵と改姓、シャトー マルゴーを手にしますが、フランス革命が起こりデュ・バリー夫人、アルジクール伯爵夫妻、そしてジョセフ・ド・フュメルもギロチン台の露と消え、シャトーは革命政府に没収されました。その後ド・ラ・コロニラ侯爵がシャトー マルゴーを所有します。彼は当時一流の建築家ルイ・コンブに依頼して、エチケットの絵柄にもなっている壮麗なギリシャ神殿風のシャトーの建物を1810年に完成させました。侯爵の死後はスペイン人のアレクサンドル・アグアド、そしてその息子の再婚相手でスコットランド人女性のエミリー・マグドーネルへと所有者がかわっていきます。エミリーはナポレオン三世の妻ユージェニーに侍女として仕えましたが、そのナポレオン3世の命による有名な1855年のパリ万国博覧会の格付けの際、シャトー マルゴーはシャトーラフィットに次ぐ第1級第2位に格付けされたのです。しかしナポレオン3世が失脚するやエミリーはユージェニーとイギリスへ亡命。その後、病虫害や大恐慌などにより所有者は転々となります。1934年、シャトーはボルドーを代表するネゴシアン(仲買商)、ジネステ家の所有となりました。ジネステ家は当初は投資、改良を行いましたが次第に評判を落とし、1974年の「ワインの大暴落」で大きな痛手を被って手放すことになります。売りに出されたシャトー マルゴーを、当初アメリカの酒販業者が買おうとしましたが、フランス政府が「シャトー マルゴーを外国人に売り渡す事は、エッフェル塔やモナ・リザを売却するようなことで、許されない」と介入、結局1977年にシャトーを買い取ったのはギリシャ系のアンドレ・メンツェロプーロスでした。メンツェロプーロスは各国での事業で財を成し、フランスでもスーパーマーケット「フェリックス ポタン」を経営する実業家でした。シャトー マルゴー購入後すぐに、彼は大規模な投資を行いブドウ畑の改良や醸造設備の刷新を行いました。またボルドー大学の醸造学者エミール・ペイノーを技術顧問に迎え、更なる品質の向上に努めました。その結果は直後の1978年ヴィンテージにすぐに現れ、シャトー マルゴーは見事に復活を遂げたのです。1979年からはセカンドラベルを導入、これが「パヴィヨン ルージュ デュ シャトー マルゴー」となるわけですが、これによってシャトー マルゴーとしてリリースされるワイン(いわゆる「シャトーもの」)の品質がさらに向上しました。1980年のアンドレの死後、未亡人ローラ、そして娘のコリーヌ夫妻の所有となります。1983年からは支配人ポール・ポンタリエが運営、ワイン生産は磐石なものとなっています。シャトー マルゴーの年間生産量は約13,000ケース。セカンドラベルの「パヴィヨン ルージュ デュ シャトー マルゴー」は約17.000ケースが生産されています。ソーヴィニヨンブランだけから造られる辛口の白ワイン「パヴィヨン ブラン デュ シャトー マルゴー」は、樽で醗酵と熟成がおこなわれ、年間約3,000ケースが生産されています。これはメドック地区最高の白ワインと言われていますが、メドックのアペラシオン(呼称統制)では白ワインは認められていないため、広域のアペラシオンであるACボルドーとなっています。収穫の初期に何度か雨天に見舞われるまでは、偉大なるヴィンテージ誕生に限りなく近かったのですが。メルロもカベルネも、当初から驚くべき凝縮性をあらわし、1995年や1986年を彷彿とさせました。最初は少々閉じていて、いかめしい印象でしたが、樽内育成・熟成が進みに連れて徐々に丸みと調和を増していきました。今日ではシャトー・マルゴー1998年は優れたみずみずしいアロマ、特に赤果実の風味を含み、バニラや焙煎のノートが徐々に全体に溶け込み始め、余韻にまで広がります。味わいにはたくましさがあり、タンニンもみずみずしく締まりがあって、それでいて粘性も感じます。クラシカルな印象を与える理由でしょうか。1998年は異論なく長期熟成向きワインです。理想を言うならさらに数年待って飲みたいワインです。